まにあってよかった

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2014.08.27 Wednesday ... - / -
#夏の構成
淡い音をことさらに聴きわけていくと よわい蝉の途切れがちな鳴き方のなかに何か 
繰り返しくりかえされていく夏の けして戻らない駆動の冷たさを感じる 自動販売機
から落ちる缶ジュースの 安堵にも似た鈍い音が遠くから聞こえ かがんで冷えたジュ
ースを手にしている人の背中に 来年の夏の光が すでに透けて見えるような気がする

なにげない仕草の触りの跡に 人を追っていくことに飽きず 袖を通しそうもない夏服
が 物干しの鎖を揺らす 風の通りがすみやかな庭で 向日葵が太陽を追いかけている

言葉の構成としての夏は いつしか色を使い果たし疲れ ふくらはぎに不意に探りあ
てた赤い湿疹に 指をすべらせて感じる膨らみに気をとられ 触りながら見ている体の
著しい言葉の欠如が 風鈴の舌が休んでいる時に差し込まれ あしたになれば腫れがひ
いて少しの跡が 白い皮膚の上に点として残り 打ち水のような言葉を撒いて涼しい 
夏をまたひとつ 私たちは構成するだろう
2007.08.13 Monday ... comments(4) / trackbacks(0)
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2014.08.27 Wednesday ... - / -
#Comment








こんにちは、Nさん。

>今の自分を肯定し、今の自分の詩作を疑わないこと、

心に沁みるお言葉、ありがとうございます。自分でもときどきそう思うようにしているのですが、やはり詩を読んでくれた方から言っていただくと、本当に背中を押す力をもらったようで、心強く思います。

 ところで、Nさんの最近の作風、とても良いですね。いつのまにか、とても上手になられて、でも、真剣さを失わない姿勢、見習いたいなと思います。

 それでは、また。


| りす | 2007/10/27 10:33 AM |
実際にお会いして話をしてみたいとはよく思いますが、残念なことに実際にお会いしたことはないんですが、文極ややみなべではよくお世話になってます。
ここまでいったら、いえ、最初から誰かはばればれでしたよね。
そういうクールなりすさん嫌いじゃないです。


話は変わり、一連二連について、疑いの後失望したとありますが、失望することないんじゃないかと、私は思います。
上手く書こうとする努力ってのは誰もがすることだと思いますし。私なんて上手く書こうにも上手くいかず喘いでます、
そんな中りすさんの"美しい"文は勉強にもなりますし、なにより読んでいて心地が良い。
つまり、読み手に、たとえ私だけだったとしても、"心地が良い"と感じさせたこの詩は、素晴らしいと私は考えます。
私もよく自分の詩作に疑問を感じますが、りすさんの素敵なお褒めの言葉に何度も救われました。
りすさんの言葉には力があると思います。美しい文、素敵じゃないですか、きっと、そこまで辿りつくのに苦労したんだろうなと思います。
今の自分を肯定し、今の自分の詩作を疑わないことも、たまには良いんじゃないでしょうか。
詩集、期待して待ってます。
その時は、サイン入りで。

では、二度も失礼しました。
| N | 2007/10/26 9:15 PM |
Nさん、こんにちは。たいへん嬉しいコメンント、ありがとうございます。僕にファンがいるとは、少し驚いています。Nさん、どこのどなたなのかわかりませんが、なんとなく、一度お会いしたことがあるような気も致します。

一、二連は、僕の中では、「典型的な美文」のカテゴリーに分類される文章です。事物と感覚の程よい融合が目指されていて、Nさんがおっしゃるように「上手い」という評価を得やすい文章だと思います。実際、上手く書こうとする努力を惜しまずに書いたわけですが、何かがおかしい、詩とはこんなものじゃないだろう、という疑いが強くあり、結局、このような文章は「言葉の構成」でしかないという失望のもとに三連は始まっています。
 
 虫刺されや湿疹というものは、目で発見するよりも前に、手が触りに行って初めて知るという場合が多いように思います。そして触れた瞬間、手が止まる。「著しい言葉の欠如」とは、そのような一瞬の空白帯で、その前後は言葉(意識)の構成で埋め尽くされている、そのような感じ方を記そうとしたのが、少し違和感のある三連ということになります。

 詩集はもちろんありません。出す予定もありません。理由は簡単で、作品が無いからです。いつか、詩集として自作をまとめてみたいという思いはあるのですが、それは遠い先のことになりそうです。

 Nさん、ありがとうございました。密かに読んでくださる方がいること、最上の喜びだと感じました。

| りす | 2007/10/26 7:04 PM |
コメント失礼します。
一読して、夏の終わりから描いたのかなぁと。
発想が、いつも素敵だと思います。
一連、読みながらに、描かれている夏がワンショット、ワンショット浮かんできます。
昔よく、気だるい体を重力にあずけて、そのまま蝉時雨を聴いていた気がします。
遠い記憶のような、世界。
話は変わりますが、邦画って、毎回凄く静かな印象をうけるんですが、この作品もまさにそれで、効果音で織りなす詩といえばいいのでしょうか。
わたしがいつも意識する部分なんですが、
"夏の音"がリアルに伝わる。
夏の音をリアルに伝えるのって、実は簡単じゃないですよね、と私は思うのですが。
蜩、蝉時雨、太陽、向日葵、夕風、とか、ピースをはめるだけではなりたたない。
この詩を読んでいると、次々に風景、記憶が蘇ってくる、ところは本当に凄いと思います。
上手い。

二連も、素敵ですね。
よく晴れた空にある太陽、
物干しの鎖にかかる夏の匂いに、乾いた風がふわり、と。
視点は向日葵へ、そして太陽へ。流れるようですね。
聞くところによると、向日葵は常に同じ場所を向いているみたいです。あれれって感じですよね。
もうひとつちょっとだけ、"物干しの鎖"なんですが、ジェネレーションギャップでしょうか、物干し竿というイメージなんですが、鎖?は、つまりは紐みたいなのでしょうか?

三連なんですが、入り方に少し違和感を感じました。
恐らくりすさんもわかっててのことかなとは思うのですが、私には気になりました。逆にその差異が良いのか、は私にはなんとも言えないのですが(というかもともとコメントする力なんて全くないのですが)。

言葉の構成としての夏は というのは、考えようによっては、この始まり、つまり三連からはこの詩を創っている最中のりすさんへ視点が移っていると。

そうすると、面白いことにしっくりくるんですよね。
勝手なイメージを展開させてもらうと、
夜、静まりかえる室内(窓辺とか)で詩作に打ち込むりす氏、
>いつしか色を使い果たし疲れ
と、溜息をこぼし、そして不意に、
赤い湿疹に指をすべらせる。
ここらへんは、なんだか、わけのわからない、自分自身でさえわからない心の虚しさ、とか、切なさ、のようなものを感じました。
"しこり"としての"腫れ"みたいな。
やがて風が止み、終わりへ。

三連だけが異様に浮いて感じるのは、最後の、"私たち"も原因のひとつな気がしました(私の中で)。
三連だけ、哲学的?と言えばいいのでしょうか(頭悪くてすみません)、纏めようとする意図を凄く感じます。
極端にいうと、これではせっかくの一、二連が生きてこない。と思いました。
ここらへんは完全に好みの問題になってしまいますね。すみません。
なにはともあれ一、二連はすごく好きです。
いや、三連もけして嫌いではないです。
むしろ好きな方なんです。
"風の通りがすみやかな庭"や、"打ち水のような言葉を撒いて涼しい"と、一見爽やかそうに感じるけれど、全体的に漂う"哀愁"のような、なんだか寂しい空気が、本当に良いです。

もっと読み込んでコメントしたかったのですが、なんだか表層を撫でたくらいのコメントにもなっていなくて申し訳ないです。
もっと役に立てるコメントが出来ればと常々思っているのですが。
最後に、もしりすさんの詩集があったらほしいなとよく思うのですが、あるのでしょうか。
と言ってみたり。
では。りすさんのファンより。
| N | 2007/10/25 10:46 PM |
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