まにあってよかった

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2014.08.27 Wednesday ... - / -
#器供             
みなもに鮎が跳ねて 手鏡のように光り それが何かの合図であるかのように ふと背景が居なくなってしまう初夏の岸辺や シティホテルの最上階で 冷えたプールを眺め 陽射しもないのにサングラスが欲しくなる 第4コースの深い揺らめきが 容積にしておよそ1リットルの器の中に身を寄せ おそらく忘れ物でもしたのだろう プールサイドでは少年がランドセルの中身をあらためながら 筆箱の収め場所に悩んでいる プールの底には教室があるのだろうか(水色の黒板の上、立ち泳ぎで方程式を解いたり?)そのような疑いに 私が少し首を傾けるだけで 少年の黄色い学童帽はバランスをなくして みなもに落ちてまずは やわらかく浮くだろう 浮いたらゆっくり水を吸いとり 沈むまでの清潔な待ち時間に 傾けた首をそっと元に戻しておくこともできる とっさに手を伸ばせば繕ってしまう綻びのはじまりに 少年は塩ビ製の筆箱の角を潰して ランドセルの空間の造形に余念がない 乾いた黄色から濡れた黄色へ ゆるやかな布地の変色にも気づかず 学童帽に留まっていた少年の小さな頭の名残も とっさに手を伸ばさなかった という理由で失われていくとすれば 首を傾げる前に忘れ物を手渡すことを 忘れ物はありません そうひとこと云い添えることを あの朝に忘れていたのではないかと 親でもないのに少年のことを気遣っていることが とくに不自然な心持ちでもない冬のはじまりだった 初霜が平等に降りて もの思いに招かれる 半歩手前の暗がりには それとわかるように 藁のような乾草が盛られた あたたかい膨らみがある 今日の暖をとるために その狭い温もりを掻き分け 冬支度に忙しい真面目な地虫たちを掘り出し いちいち名前を尋ねて きちんと整列させるわけにもいかず 踏みしめても身を硬くして生き延びる 強い生命への気安さから 固い靴底で膨らみに踏みこんでしまう私は 器にわずかばかり残ったコーヒーを 電子レンジで温め直す儀式を 家人に疎ましがられても やめることができない 少量を適度に加温することは難しく 目盛のついたスチールのツマミに 秒の単位まで分け入っていく はりきった指先と視線の 愚かさと自愛を量る天秤が チンッという音と同時につりあってしまう瞬間に つとめて無関心でいることで 残り少ないコーヒーを 美味しく頂くことができた 空の器を覗いていると 対岸の町が見えてくる そこはかつての学区外で 知らない人ばかりが暮らしている 石を遠投して様子をうかがうと ときどき届いたという合図が送られてくる 合図があった日には おろしたての新しい器に手をかけて 冷たい縁を円にそってなぞりながら 最初に口をつける場所を 決めることにしている




2007.12.12 Wednesday ... comments(4) / trackbacks(0)
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2014.08.27 Wednesday ... - / -
#Comment








こんにちは、柊さん。

本当に、不思議ですね。僕も柊さんて、どんな人だろうかと考えることがよくあります。一度も会ったことがない人を、親しみをもって思うこと、そして、それが確かに僕の記憶として残ること、これはとても不思議な体験だと思います。
 あ、これって、もしかして「器」のテーマそのものかもしれないな、と今気づきました。さすが、柊さん、さりげなく主題を言い当てていますね。その感性、良いと思います。
| りす | 2007/12/17 12:56 AM |
関係ないのですが、
わたしは、りすさんに会ったことがないので、もちろん声もどんな声なのかわからないのですが、"詩"というひとつの共通点から繋がっていく関係って、面白いですよね。
たとえば、名前も知らないのに、りすさんがコーヒーが好きなこと、結婚していることを知っている。みたいに。

人物像は、かわいいようで、やっぱり大人だったり、不思議です。現実世界ではそれぞれの生活があって、完全に別の世界にも関わらず、わたしはよくりすさんのことゆりすさんの詩のことを思ったりします。
まったく、不思議なものです。
| 柊 | 2007/12/15 7:46 PM |
柊さん、こんにちは。
なんで、こうも「器」なのか、自分でもよくわからないのですが、最近「器」という言葉が気になって仕方がないのです。字の見た目も、なんか漢字っぽくないですし。フシギです。
 「描写」って、何を書いて、何を書かないか、書くならどう書くか、という部分に個性がでるから面白いですね。電子レンジのつまみを回すことを描写するという、ちょっとセコイ感じが、僕の個性なんだろうなと思ってみたりもします。
 僕はコーヒーが好きなので、コーヒーを飲むことは習慣になっていますが、そのありふれた行為に細かく分け入っていくと、自分という人間がよくわかるな、という感じでしょうか。それにしても、自分でも、ぼんやりとした詩になってしまったなと、ちょっと反省しております。

| りす | 2007/12/15 12:52 PM |
こんにちは。
この作品、すごく単純に読むと、コーヒーを飲んでいるところから飲み終わるところにすべてが注ぎ込まれてるのかなって思いました。
>第4コースの深い揺らめきが 容積にしておよそ1リットルの器の中に身を寄せ
ここはまさにコーヒーを眺めているシーンで、そこに記憶が写しだされていく、みたいな。
少年というのは、かつての自分で、その少年を客観的に見つめているのかなって思いました。
わたしは、「なんであの時あんなことしたんだろう」とか、当時の気持ちがわからない時があるのですが、この最初のシティホテルの描写はまさにそれなのかなって。そうするとわりとすんなり読めたんです、ね。
"あの朝に"とあるので、そこらへんも噛み合うかなって。
次は"私"の描写で、そこから、"室内"へ着地。そしてコーヒーを飲みほし、空の器からまた別の景色へ(面白いですねこれ)。
最後の部分を読んで感じたのが、今もまだ"合図"を待っている、のかなって。
かつての〜から始まっているので、〜ことにしている。で終わった、というところからなんですが、考えすぎかもしれませんね。
ところでこの作品、別に名をつけるとしたら「描写」だとわたしは思ったんですが、どうでしょう。つまり、とにかく描写がすごい。すべての、細かい動作すべてを描いている、という印象を受けました。それって、りすさん作品によく見られる所であり、長所だとわたしは思っているんですが。
その描写により全体が見にくくなっているような気もするんですが、それが案外良い"味"ではまってしまうのも事実で、
とにかくこの作品良かったです。
では、また。
| 柊 | 2007/12/13 12:57 PM |
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